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1年で妊娠だった [気持ち]

前に書いた日記をざっとみていて、日付をみたら、
このブログを始めたのが2012年の4月。
体外受精を始めたのが2013年の4月。

なんだ、1年しか経ってないんだ。

私は結婚して13年なのですが、
その年数ばかりが頭にあって、ずぅーっと不妊治療しているような気持ちに
なっていましたが、
通院は1年位だったんだと思ったら、何かあまり大変じゃなかったんだなと
思ってしまいました。

渦中にいる時はとにかく大変でつらくていやで、、、
悲劇のヒロインな気分でした。
でも過ぎてしまうと、1年だったんだ…意外と短かったかな?という印象。



30歳の頃に半年間病院に通って、その時もつらかったですが、
もしあのまま治療を続けてがんばったら、もっと早くに授かったのかな?と
思うときもあります。

だけど、
つらくても続ける、か、後悔してもやめる、のどちらかを選ぶときに
たとえあとで後悔しても今は続けられない、という気持ちが強かったので
不妊治療はお休みしました。

そうやって出した結論なので、あのとき続けとけば良かったな、とはあんまり
思ってないのですけど、

もう一度その気になるまで7年かかったことについては、
もうちょっと短い期間でどうにかなればよかったなあとは思います。

3年くらい気功にすがった時期があって、
もちろんそれはそれで効果はあったと思いますが、

現実から目をそらしていた、と言えばまさにそうで、
ちょっともったいない時間だったとも思っています。

まあ、そうやって過ごした時間があったからこそ、
ダメ元でもチャレンジしようと思えたし、
今までダメだったんだからたぶん妊娠出来ないだろうな、とも思っていて、
期待がない分毎月の人工授精にも通えた、というところはあります。


今までの生活に不満があるわけでもないし、絶対に子供が欲しいという信念もないし、
子供がいたらできなくなることをあげたらきりがないわけだから、
このままで夫婦2人で仲良く暮らせたら、と、
それはたぶん授からないことのいいわけのためにいろいろと理由を探していただけ
なのですけど、
毎日そうやって自分自身に言い訳ばっかりしてきました。

それが一番つらかったかな、今思えば。


それが何で不妊治療を再開しようと思うことになったかと言えば、
最大の理由は、父の病気でした。
父が末期がんだということがわかり、
わかった当初は病気が治らないということを受け入れることができず、
なんだかんだ言ってて結局何年も死なないで生きるんでしょ?って
思おうとしていて、
生きる原動力を作ってあげたいな、という気持ちがわいて、
一番喜ぶのはきっと孫の存在だろうな、と。
だからって、そう簡単に授かるはずないなぁと思いつつ、
何もしないであきらめるのもなぁと。
父との時間が短いので、なるべくそばにいようと思って仕事を辞めて、
そうしたら時間ができたので不妊治療に通うことも可能だから、
この機会ならチャレンジできるなぁ、と思ったわけです。
ただ、夫が乗り気じゃなければしなくてもすむかな、とちょっとまだ逃げ腰
だったのですが、
話してみると、実はかなり乗り気でした。
たぶん夫としては子供が欲しかったけれども私が(不妊治療に対して)消極的だったし、
無理強いさせるのはかわいそうだと思っていたみたいでした。

そんな風に思っていたとは気づきませんでしたけど、
そういうわけで、不妊治療を再開することにしたわけです。


状況が通わせてくれた、という感じです。



運命とか奇跡とか、生まれ変わりとか…、そういうの苦手なんですが、


そういうのもちょっとだけ期待しました。



けど、例えば生まれ変わりだと、
亡くならないと生まれ変われないし、
受精を誕生とするか、産まれた日を誕生とするのかで10ヶ月の開きがあるし…。


じゃあ、

亡くなったら、、、
もしかして…、、、、

なんて期待もちょっとしちゃいました。不謹慎すぎますけど。

でももちろんそんなことはなく…。。。


まあ、生まれ変わられても困るし。。。


半年後、父が亡くなり、これから仕事を再開しようかと考えるようにもなり、

さてこの先どうしようか、と、思っていた矢先に先生からアドバイスをもらい、
体外受精に進むことにしました。
が、仕事が決まり、結局5ヶ月間何もしませんでした。


仕事の契約が5ヶ月だったので、せっかくなのでそのまま辞めて、治療に入りました。
お金のことを考えると、仕事を更新して働きながら治療をする方がよいかとも思いましたが、
私にはいろいろあれこれ調整しながら働くってことが難しいので、せっかくの仕事でしたが
辞めました。

タイミングよく、1回めの体外受精で妊娠が成立して今に至ります。



去年の今頃は、父は亡くなるし、仕事は行き詰まるし、お金は減り続けるし、
母の将来のことやら私たちの将来のことやらとにかくいろいろ、いっぱいいっぱいだったなぁ。



もうひとつ、心境の変化がありました。
私自身の母性のようなものです。

2年前に犬を飼い始めました。
これまでもずっと欲しかったのですが、飼える環境になったことと
ビビビとくる子と巡り会えた、のが同時にやってきて、
我が家に迎えることになりました。

それはそれはかわいくて、
何もかも犬を中心に生活が回り始めました。

食事の世話をしたり散歩したり、ただ寄り添って眠ったり、遊んでいる姿を
眺めているだけで幸せな気分です。

それで、、
それまで愛情とか母性とか、ほとんどわからなかった私でしたが、
こういう感情を母性とか呼ぶのかもしれないと気づき始め、
大切な存在がいるということの幸せを知りました。
夫に対しても、これが愛情なんだな、と知りました。結婚13年ですけど…。


今までは、
親戚の人が子連れで海外旅行に出かけた話なんかを聞くと、
子連れでなんて大変なだけなのによく行く気になんてなるなぁ、とあきれてたんですが、
これをうちの犬にあてはめて考えたら、
連れて行けるなら連れて行って一緒に遊びたいな、と思えたんです。

たとえ大変でも一緒に出かけたい、という気持ちがわかりました。


そうか、世の中のみんなはこういう気持ちで、家族旅行をしたり家に集まって団らんしたりを
大事にするのかぁ。


40を前にしてようやく気づいてしまいました。なんと精神年齢の低いことか…。


だから子供を欲しいと思ったというわけではないのですが、
今まで敬遠してきた家族というくくりそのものに対する考えがかわって、
子供をもうけることに対して抵抗がなくなった、という感じでしょうか。



あと3ヶ月ほどすると産まれるはずで、
産まれたら大変だよとか、育てるの大変だよとか、
周りはそんなことばかりいいますが、
そして実際大変なのでしょうが、
ただがんばるのみです。
そしてがんばらないでゆだねるのみです。


ふと、振り返ってしまった、今日の気持ちでした。
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